日本のステンドグラスの歴史と技術を後世に継承するため
ステンドグラス作品の保存修復・調査記録活動を行います

ステンドグラスは修復を経て、受け継がれていきます


ヨーロッパの教会建築では数百年前(古いもので千年前)のステンドグラスが今も大切に使われています。

これらは全て定期的に適切な保存修復が施されています。
ステンドグラスの材料は、色ガラスとそれをつなぐ鉛の線の2つと言えます。
色ガラスは割れてしまわない限り変質や変色など劣化はしません。
一方、鉛の線は数十年から百年程の時間の中で酸化や風雨にさらされる事により、劣化します。
鉛の線の劣化が進むと、平らだったステンドグラスがたわみ、鉛の線がガラスを支える事が出来なくなり、ガラスが外れてしまいます。
鉛の線を定期的に新しい鉛の線に交換する事で、ステンドグラスは永い時間を受け継がれていく事が叶います。

明治時代の中頃に日本にステンドグラスの技術が伝わり100年余りの時が経ち、小川三知作品をはじめとした秀逸なステンドグラスはすでに保存修復が必要な時期を向かえています。
中には、専門の修復技術と知識を持つ工房による適切な保存修復と記録がなされた事例もあります。
一方で保存修復と言い難い事例も少なくありません。
修復者が自身の方法や技術の幅の中だけで手を加え、
オリジナルの作品とは別の作品に仕上げてしまったり。
修復前の記録や修復の工程、どのような箇所にどのような方法で修復を施したのかを記録する事を怠ってしまう事があります。
それにより、今後の保存修復時に作品が作られた時の技術や状態が分からず、正しい修復が困難になります。
大切に現代まで時を経て受け継がれた秀逸なステンドグラスを

後世につないでいく為には、先人の仕事への敬意と共に
正しい知識と技術に基づく保存修復と調査記録が不可欠です。
専門技術と知識を兼ね備えた技術者と、専門の研究者が協力する事で、ステンドグラスは未来につながれていくのです。

また、作者や制作時代などが分かっていないステンドグラス の調査も行います。
専門の研究家、技術者がステンドグラスの状態を確認すると共に、過去の資料などを取集し、総合的に調査を進めます。
憶測や予想ではなく、出来る限りの事実的な根拠を元にした調査記録をまとめて判断をします。
*場合によっては、作者や制作時期の特定に至らない事もある事をご了承下さい。

保存修復や調査の記録は、記録として保管し、今後の研究につなげ、
西洋に比べると未熟と言わざるを得ない日本にステンドグラスの
保存修復・調査記録の文化を確立を目指します。


保存修復・調査記録のお問合せはフォームより受付けております。

新潟 古町 鍋茶屋 応接室棟

所在地:新潟県新潟市中央区東堀通8-1420
ステンドグラス制作者:玲光社(今回の調査で判明)
ステンドグラス制作者:玲光社(今回の調査で判明)
建築設計者:大友弘
施工者:清水組(現:清水建設株式会社)
竣工年:昭和6年(1931)年
現 況:現存
*料亭 鍋茶屋として営業
http://www.nabedyaya.co.jp
所有者 :合資会社鍋茶屋
文化財指定:登録有形文化財(建造物)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00001595
画像:3階 シノワズリ文様ステンドグラス (非公開)
*今回の保存修復調査では他1F渡り廊下のサカナ意匠円型窓(公開)と
手洗所建具にはめ込まれたタツノオトシゴ意匠ステンドグラス(公開)の
3作品を保存修復調査
修復期間:令和4年3月〜令和5年4月

修復担当:
藤原 俊(3階 シノワズリ文様ステンドグラス ・1F手洗所タツノオトシゴ意匠ステンドグラス)

調査記録・記録報告書作成:井村 馨







2022年3月現地調査
作品の状態を確認し、修復の必要性を検討

 

2022年5月取り外し後工房へ運搬
作品の解体


解体後のガラスは1ピースごとクリーニングする
ガラスのピース数は総数1000ピースを超えた
 
 


2023年5月修復完了後取付
 
 

東京都 上野 黒澤ビル(旧小川眼科病院) 地階ステンドグラス

黒澤ビル(旧小川眼科病院)
所在地:東京都台東区上野2-11-6
ステンドグラス図案及び製作 小川スタジオ(小川三知)
設計者:石原暉一
設計工事監督:石原建築事務所(技師石原暉一)
コンクリート工事:沼田組
塗師工事・漆塗監督 松田 権六
彫刻製作 吉田三郎
竣工年:第1棟(現存)昭和4年、第2棟(現存せず)昭和6年
現 況:黒澤ビル(医院・住宅)として現存
文化財指定:国登録有形文化財
参考資料:医学博士小川剣三郎「実験眼科雑誌第十二年96号」470ページ 実験眼科雑誌社 1929年7月

修復完了時

建築主の小川剣三郎(1871-1933)は医師小川清齋の三男として生まれた。 小川三知のすぐ下の弟である。三知が医学の道に進まなかったため、東京帝国大学医科部 (現東京大学医学部)を卒業した剣三郎が家督を継いだ。明治32年(1899)静岡で開業後、 岡山医学専門学校(現岡山大学医学部)に教授として招かれ、ヨーロッパ留学を経て、 明治45年(1912)に神田和泉町で開業、大正2(1913)に上野池之端で移転開業した。 現在の建物は震災後の新築で、娘婿の黒澤潤三(東京帝国大学医学部卒)と共に医療に あたった。 小川三知の親族が関係する建物で三知のステンドグラスが見られるのは、現在ここだけである。 ※ 震災とは、大正12(1923)年の関東大震災のこと。

⚪️修復に至る経緯 2023年6月21日小川三知研究家・井村馨先生からの依頼により、黒澤ビルのステンドグラ スの状況調査を行った。
井村先生によると地階のステンドグラスは以前見学した際にガラスの破損とパネルの変形が 見られた。また現在(2023年)隣接する土地において新築マンションの建設工事が行われ ており工事の振動による破損の進行も懸念され、修復の必要性を感じた為、オーナー様に相談の上、状況調査を依頼したとの事。
調査したところ、目視で破損箇所が8ピース、パネルが階段の反対側に向けて数センチ湾曲 しているのが確認出来た。 ガラスの破損や湾曲の状況から、階段側から作品の右方下部のクリア型ガラスに何かをぶつけ た際そのガラスの割れ、その衝撃により作品外周部分の細いピースの破損とパネルの湾曲が 生じたように推測される。 その後そのまま放置されていた時間が長くあったと思われ、破損の状況は悪化した推測される。 パネルの湾曲に伴い、ガラスを支えている鉛製のケイムも切れかけている箇所があった。
将来的にガラスが外れる恐れもある為、なるべく早めの修復の必要性があると判断した。
  黒澤ビルでは毎月見学会を開催している。
ステンドグラスの全作品と建築の全体を見学出来る貴重な機会となる。
http://www.kurosawa-bldg.com/index.html








2023年6月現地調査
作品の状態を確認し、修復方針を検討

 

作品の解体 色ガラスのみ

作品の解体 鉛線(ケイム)のみ
  *鉛線も保管

 

ガラスクリーニング後 新しい鉛線で組み上げ
オリジナル同様の全面ハンダ技法で接着
 
 

2023年11月修復完了後取付